森本くんと私

最初に告げておきます。長いです。そして重いです。ついていけなそうな人は回れ右です。

これは森本くんと私の10年の物語です。

初めて森本龍太郎くんを認識したのは、彼が小学4年生のときでした。
彼は小さな体をめいっぱいに動かし、全力で踊っていました。まだまだやんちゃな、可愛い子供でした。

翌年、わたしは彼が所属していたJ.J.Express(以下JJ)というグループのファンになります。
今まで以上に森本くんのことを見るようになりました。大好きなグループの一員ということもあり、どんどん好きになっていきました。
しかし、JJの一員である森本くんと中島裕翔くんは少しずつグループとして活動することが減り、山田涼介くんや京本大我くんらと活動することが増えていきました。
わたしはそれでも二人がいた9人のJJが大好きで、違う活動をしていても、特別な存在として同じように応援するようになりました。

2007年になり、Hey! Say! JUMPができました。
JJが大好きだったわたしは、Hey! Say! JUMPを応援することができず、かろうじて個人の仕事を見ることができる程度でした。
2008年になってもそれは変わりませんでした。その頃、森本くんは声変わりをしたらしく、偶然聴くことができたラジオで低い声で話す森本くんに驚いたのを今でも覚えています。

2009年1月、偶然にもJUMPのコンサートに行くことができました。
そこには大好きな人たちがいて、とても楽しい時間でしたが、Hey! Say! JUMPというグループは未だに認めることができませんでした。
森本くんはソロダンスのコーナーがあり、昔小さな体を大きく動かしていた時とは違い、スマートなダンスを披露していました。わたしはその時、人生で初めて森本くんをかっこいいと感じたのです。

そのコンサートからまもなく、わたしはJJのファンと言い続けることに限界を感じ、キスマイのファンになります。玉森裕太くんが好きだったためです。
でも、端っこだった玉森くんが突然センターに立つことを受け入れられず、とてもファンとは言えない状態が続きます。
その頃のわたしは、キスマイのファンでいながら、個人個人で考えればJUMPが一番好きなことも自覚していました。それでも、Ya-Ya-yahとJJがなくなってしまった元凶であるJUMPを好きになることはできませんでした。


そんな中途半端な状態から、ついに抜け出せる時が来ます。

2010年になり、山田くんが左目探偵EYEというドラマに主演し、主題歌をJUMPが歌うことになりました。
この話を知ったとき、わたしは素直にこのドラマを見るつもりでいました。先程記述したとおり、個人の仕事は何の抵抗もなく見れていたのですから。

そして当時見ていたザ少年倶楽部という番組に、JUMPが出演しました。
久しぶりに全員の姿を見て、わたしの知っている姿じゃないと思った人もいました。とくに森本くんは中学生、変化の大きい年頃です。身長はいつの間にか170センチに届きそうな程伸び、顔もいくらか大人っぽくなったように思いました。

わたしが一番驚いたのはダンスです。コンサートを最後に森本くんが踊っている姿を見ていなかったのですが、彼のダンスはとても、とても魅力的になっていました。
わたしは気付くと、彼のことばかり目で追っていました。当時披露した曲『瞳のスクリーン』で彼は立ち位置がほとんど端っこ、『Romeo & Juliet』でも後ろの方にいてとても見づらかったのですが、ずっと見ていたくて、前に被ったメンバーを邪魔に感じたことさえありました。

わたしにとって、JJは特別なグループでした。そのグループのメンバーであった森本くんを好きと思うことに疑問はありませんでした。
むしろ、久しぶりにJUMPの姿を見て、やはりわたしはこの人たちが大好きだと実感しました。裕翔くんや有岡くんなど、JJだったメンバーは尚更です。

でもわたしは、Hey! Say! JUMPのファンとは絶対に言えませんでした。それだけは、言えなかった。
だけどわたしは、紛うことなき森本くんのファンでした。もうとてもキスマイのファンとは言えません。森本くんに夢中だったのです。
わたしはその時、森本くんのファンとだけ言い、Hey! Say! JUMPのファンとは言わなければいいのだと気付きます。これなら、わたしの気持ちに嘘はありません。他のファンからしたら、個人のファンなのにグループのファンではないなんて可笑しな話です。でもわたしはそれが一番良い形だと思いました。

そしてわたしは、森本くん担当と名乗るようになりました。
当時、キスマイのファンの中ではJUMPもJUMPのファンも良く思われていませんでした。その為、わたしは当時仲良くしていた何人かのファンの友人に『JUMPのファンとは仲良くなれない』と言われることになりました。
それでもわたしは、清々しく晴れやかな気持ちになりました。ひさしぶりに、素直な気持ちでタレントを応援でき、そんな普通なことがこんなに気持ちの良いことなんだと感動しました。

森本くんのファンになってから、当たり前のことですが彼を見ていればどうしても他のメンバーとの関係やグループとしての形を見ることになります。
そのうち、森本くんの他のメンバーの関係が素敵なものに見えていきました。Hey! Say! 7の5人が大好きになりました。そして、JUMPが大好きになりました。
グループとして認められなかったHey! Say! JUMPのことを、気付けばグループとして好きになることができたのです。

好きな人、そして好きな人のいるグループを愛せることがこんなに幸せなことなんだと感じたのを、わたしは今でもよく覚えています。

わたしにとって森本くんは、好きなものを好きと言わせてくれた、とても特別な人でした。
あの時森本くんに夢中にならなければ、わたしはJUMPのことを素直に好きと言えぬまま、時だけが過ぎていったように思います。

2011年6月28日、週刊誌に彼の記事が載りました。彼は無期限の活動休止状態となりました。
JUMPを好きになれたとき、Jr.だった彼らを好きだったときと違い、これでいなくなる不安もなく応援できるのだと思っていました。しかし、絶対なんてないのだと悟りました。

わたしは、前例がないにも関わらず、彼がまたJUMPに戻ってくることを信じていました。だからこそ、わたしは森本くんの担当です、と言い続けた。

JUMPのことは、正直複雑な気持ちで見ていましたし、見ているのがつらいと思ったこともあります。違う人、違うグループのファンになってしまおうかと何度も思いました。
それでも、森本くんが好きにさせてくれたJUMPから目を離すということは考えられなかった。何より、彼が戻ったとき他のところを見ているなんて、そんなの嫌でした。

JUMPを好きになれたとき、デビューからそれまでのJUMPをちゃんと見てこなかったことをとても後悔しました。知らなかったわけではなく、個人としては好きだったので尚更です。
だから森本くんのことがあったとき、ここで目を離したら絶対後悔すると思いました。だからわたしは、9人のJUMPを応援し続ける道を選びました。

それからわたしは、どんな時も希望を捨てていませんでした。どんなに周りが諦め始めても、森本くんのファンであるわたしだけは、諦めずに待っていなければと思いました。森本くんのファンが諦めたら、その時は完全に彼の居場所は消えてしまうと思いました。

しかし彼は、わたしみたいなしがないファンの守っていた場所なんて知りもしません。別の場所で活動を始めたことを知ったとき、様々な感情に襲われました。

まずはショックでした。もう絶対に、Hey! Say! JUMPの一員として歌って、踊って、メンバーと笑顔で話す彼は見れない。ただただ、悲しくなりました。
そして同時に、緊張の糸が、するするとほどけていくような感覚にもなりました。森本くんのファンだからこういなきゃ、っていう風にどこか気を張っていたような気がします。でももう、彼は戻ってこない。そっか、もう頑張って居場所を守らなくてもいいんだ。そう思いました。

森本くんのダンスが大好きだったので、場所は違えど続けてくれることが嬉しかった気持ちもありました。
でもきっと、その場所にいる彼を応援することはないだろうと思います。わたしは今も昔も、『Hey! Say! JUMP森本龍太郎』が好きです。もうそれが、完全になくなってしまった今、わたしは森本くん担当ではなくなりました。

違う場所で活動する彼を応援することはない以上、わたしと森本くんの物語はもう紡がれることはないと思います。
彼を初めて認知してから10年。小さな子供だと思っていた彼はもう20歳です。彼は自分の意志で、自分の進む道を決めました。
わたしは、大好きなJUMPの今とこれからを見守っていく。そこに彼はいません。

でも、わたしがJUMPのファンになれたのは、他の誰でもない、森本くんのおかげです。


森本龍太郎くん、今までありがとうございました。
ほんとうに、ほんとうに大好きでした。
別の場所でもどうか、精一杯頑張ってください。わたしが後悔するくらい、輝いてください。

JUMPはあなたが嫉妬するくらいさらに輝いていくと思ってます。わたしはそんなJUMPを応援し続けます。
でも、あなたは、わたしにとって特別な、そして最高な自担でした。

ありがとう。さようなら。

わたしが担当を名乗れない理由

わたしはブログが長続きしないタイプで、その上長い文章を書くのが苦手なので、絶対にこういうのは書かないと思ってたのだけど、今の気持ちを残しておきたくてはてブロを開設してみました。
だから、たった一回限りで終わるかもしれないし、また書くかもしれないし、どうなるかはわかりません。

唐突ですが、わたしは元森本龍太郎くんの担当でした。わたしはツイッターで何度も話題にしてるので、たぶんフォロワーさんなら知ってる方が大半だと思います。
わたしはずっと、騒動が起きて活動休止になってからもずっと、森本くんの担当と名乗り続けました。知っている森本担の人が何人も担降りしていくのをずっと見てきました(この方たちにネガティブな感情は全く抱いていません。降りた先で幸せそうにしているのを見るとわたしも幸せだったし、降り先を見つけられることはとても良いことだと思っています)。

知っている方もいると思いますが、2011年に森本くんが活動休止になってから唯一担当と少しだけ名乗った方がいます。
2012年になってから、その人の話ばかりするようになり、初めて森本くん以外のうちわを作り、コンサートで人生初めてのファンサをもらった相手でもありました。それは有岡くんです。
当時は踏ん切りがつかず、二人のファンだと話してました。しかしそれも束の間、その後の夏のツアー中に、あるメンバーの最後の挨拶でこのような言葉を聞いたのです。

『JUMPは9人で一つです』

わたしはあまりにショックで呆然とし、帰り道の新幹線では二時間泣き通しました(相方へ あの時は大変ご迷惑をおかけしました…)。
それからわたしは有岡担と名乗れなくなり、再び森本担の日々が始まります。

そんなわたしに再び、担当と名乗りそうになる程好きな人ができます。それは岡本圭人くんです。
彼は元々じゃんぷの中でもかなり好きな方ではあったのですが、ずっとこの人を見ていたい、ずっと追っていたいと思えるようになりました。
コンサートに行き、この人のうちわを持って、あなたを好きな人はここにもいるということを表したいと思うようになりました。

わたしはせっせとうちわを作りました。
2013年の春、圭人くんのうちわと、お守りのような意味を込めて森本くんのうちわの二つを持ち、コンサートに行きました。
運良く前の方の席が取れたので、けいとくんに見てもらおうとうちわを出して見守っていましたが、ふと心の中に違和感を覚えます。

(わたしは何故、けいとくんのうちわを持っているのだろう?)

わたしは、まるでメンバーに対して嘘を言っているような、妙な感覚に襲われました。
メンバーからしたら、元が森本くんのファンであろうと、まだその気持ちが残っていようと関係ありません。今けいとくんを好きであればそれで良いし、誰のうちわを出していようと文句を言う人はいません。
それなのに、わたしは徐々にけいとくんのうちわを出すのが辛くなってきました。違う、これは違うんだ、わたしの気持ちじゃない、と。けいとくんに対しても申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

コンサートの後半になる頃には、わたしは森本くんのうちわを持っていました。あの頃森本くんのうちわを持つ人はほとんどいなかったと思います。だいぶ浮いたと思います。それでもわたしはとても清々しい気持ちになりました。堂々とそこにいることができました。

その時わたしは察しました。わたしはどう足掻いても森本くんのファンだし、彼以外のうちわはもう持てないのだろう。
わたしはそのスタンスでこれからもじゃんぷを見守ろう。そう決めました。

それからわたしは、誰かに堕ちて、まるでその人のファン、担当かのように好きになったとしても、根底にいる森本くんの存在が揺らぐことなくいるということを常に思うようになりました。
9人のことは大好きですし、9人のじゃんぷを今では何のネガティブの感情なく見れています。でも根っこには彼の存在がいて、そのことでわたしは安定したスタンスでいることができました。


それが変わったのはごく最近の話です。
森本くんはツイッターを始め、ある日このような呟きを残します。


彼は別の場所で活動を始めたのです。これで正真正銘ジャニーズ事務所を、そしてHey! Say! JUMPを離れることになりました。前々からそうであったと思いますが、これでついに決定的になったと、わたしは思いました。
そこでわたしは気付きます。このまま森本担を名乗ることはおかしいのではないか。戻るか戻らないかわからない人ではなく、完全に戻らない人を担当と名乗るべきではないんじゃないかと。
何より、わたしはもう、彼のファンとは言えないと感じました。他の場所で活動をする森本くんのことは、特別な感情を抱きつつも、もうHey! Say! JUMPの森本くんを好きなときと同じようには好きと言えないと思いました。

このとき初めて、わたしは担当を本当の意味で失いました。

今のフォロワーさんはお気付きかと思いますが、今わたしは八乙女光くんが大好きです。長い付き合いの友人たちが引いてしまう程、彼という沼に完全にハマってしまっています。
わたしは何度も、これはひかるくんの担当を名乗る程かもしれない、と思いました。しかし未だにそう決心することができません。
もうわたしには森本くんという根っこを失っているのだから、もう好きなようにファンだと声を大にして言えばいいのに、できない。

わたしはおそらく、担当と名乗ること、ファンと名乗ることが怖くなってしまったのだと思います。
誰か特定の人を好きだと宣言するのが怖いのです。そして誰かのうちわを作ることももう怖いのです。

好きになった人がまたいなくなってしまうことが怖い、ということではないと思います。
あの時の、うちわを持ったときの違和感が、今でも忘れられないのです。
わたしはもう、誰のファンとも言えないかもしれないと思いました。

森本くんがいなくなったとき、わたしは意外と冷静でした。ショックで立ち直れない子、ファンをやめる子等、たくさんいましたが、わたしはじゃんぷを応援し続ける道を選びました。
でもわたしは誰よりも森本くんに縛られ続けていたのだと思います。未だにそうです。

じゃんぷのことは大好きです。むしろ今はじゃんぷしか見えません。でも、誰のファンと言うことも、わたしの心は許してくれないのです。

好きなものを好きと言える勇気がほしい。

これが、わたしが担当を名乗れない理由です。